Software Transactional Memo

STM関係のことをメモっていこうと思います。

Re: Re: Re: 空想のNFTと現実のNFT

前回の記事に更に返事を頂いた。応酬が全部長文なのでこの記事から読み始める人は「まとめ」から読んで興味が湧いたかどうかで全文を追うか検討して欲しい。

sasakill.substack.com

まさか本当に返事が貰えるとは思っていなかったが、実に興味深く、かつ知見として共有すべき事が書いてあったので「いつまでそのネタ擦ってんだよ」と突っ込まれるのを覚悟の上でさらなる返事をまとめる。

kumagiさんは「アテンション・エコノミーが最高であるとは思っていないが、市場の競争によって良い体験が生まれていることは認める」というもので、一方私は「アテンション・エコノミーの影響力が強くなりすぎていて、それ以外の良い体験の可能性を押しつぶしている」ととらえている。

これは確かにそうで40億回/日の再生数のうちどれだけが真にユーザーの利益になったかどうかについて僕は何らコメントできる立場にない。全ユーザーが全再生を後悔しているような物ならそんなサービスは廃れていくので再生を喜んでいるユーザーはいると思うが(僕はその1人だ)その割合は知らないし、その再生がWantsは満たしても潜在的かつ内発的なNeedsを満たせているかどうかは再生した当人ですら容易に分類できるものではない。悲観的に考えるのも自然である。

アテンション・エコノミーに最適化された現在のWebの世界は合理的な市場原理の結果とは言え手放しで褒めれるものとは言い難く、それ故に「デジタルデトックス」「マインドフルネス」等への興味は盛り上がりを見せている、スマホの通知を全てオフにするスタイルについても動機は共感できる。なのでNFTを初めとしたWeb3.0と持て囃される新技術がこの問題にどのような解決策を示すかについて純然たる興味があった。それ故に「NFTによって所有権を定義する事で新たに生じるご利益」とまでフォーカスした問いを立てたのである。

あらかじめ確かな価値があるから買おうと思ったのではない。なんだかおもしろそうだったから、という理由だけでNFTを購入する動機としては十分だった。

山古志村住民村会議とPixel Heroes XのアバターのNFTの購入、これらは完全に普通な経済活動であり、アフリカの子供達への募金と同様に尊く、ソシャゲのガチャと同様に面白い。それらの支出に対しては完全に肯定する一方で否定したい事がある。

それはこれまで主張してきたアテンション・エコノミーとは何の繋がりも無いことである。NFT以外でも実現できるという但し書きの通り、楽天証券SBI証券のアプリから親指一つで好きな企業の株を買う事も立派に「自分のなかにある内発的動機によって興味を掘り下げていく主体的な行為」に繋がる。なんだか面白そうだったから買った雑誌に乗ってたジャニーズのアイドルにガチ恋してチケットに大枚を叩き尊さに悶える行為だってこの上なくNeedsを満たしていると言えるだろう。もっと言うと身銭を切るのは必要条件ですらなく、瞑想と内省を経て悟りを開き感謝と尊敬を忘れずに家族と友人を大切にし充実した人生を笑顔で過ごしていけるなら立派にアテンション・エコノミーを脱却できたと言えるかも知れない。「私は身銭を切ることによって真の内省的動機と向き合う事ができました」という個人の感想も真である一方で、新興宗教に入会したての新人信者も一言一句違わず同じことを言うのだ*1。あなたやそれらのNFTが新興宗教だと言いたいわけではないが、切らなくていい身銭を切った事をアテンション・エコノミーと結びつけて納得しているのはあなただけだ。

視点を変えると「これこそがあなたの真のNeedsです、お金を払って得てください」と言い寄ってくる人が現れたらそれは宗教である。「マーリンが欲しい(Wants)なら3000円払って石を買ってSSR排出率1%のガチャを回してね」の方がただの商業活動と切り捨てられるだけまだマシである。僕がマインドフルネスなどの内省的な活動を支持する最大の点はお金を要求してこないことであって、もし金銭を要求してきたなら直ちに反対している。また、直接的な答えを提示してこない点も重要であり「あなたの真の要求はこれでしょう?」と示してくるのであれば胡散臭さてんこ盛りである。

アテンション・エコノミーに対するスタンスの差はあれども僕もそれが良いものだとは思っていない、しかしそれの解決策はかなり慎重にならなくてはいけない点は強調したい。Netflixにサブスク契約をすれば広告のないコンテンツ群の中から自分が見たいコンテンツを選んで再生することもできるし欲しいコンテンツのリクエストだって可能だ。もっと言うとNetflixの株をたくさん買って大株主になったらどうしようもなく当事者として向き合う事になるだろう。それでもなおアテンション・エコノミーを脱却したとは限らない、気持ちの問題だからだ。広告まみれのコンテンツにうんざりする気持ちはわかるし、自分好みに最適化されたフィルターバブルのこちら側の推薦コンテンツ群に思うところは無いではないが、それがお金を払って自分の好みでないコンテンツを視聴する事で解決するとも到底思えない。真の心なんてのは本人ですらわからないのだ。

繰り返しになるが、佐々木さんがそれらのNFTを買った事で自分の内発的な動機と向き合えた事は否定しないし、自分自身がアテンション・エコノミーを脱却できたと信じたのならそれは全面的に正しい(気持ちの問題だからだ)。だがそれは自身も認めるように単に普通の経済活動でも為しえる事でありNFTの効能ではない。それらのNFTにまつわるエピソードも素晴らしいとは思うが、それはスマホ画面の中から微笑みかけてくれたサイレンススズカの尊さで自殺を踏みとどまれたおじさんのエピソードと同様の素晴らしさでしかないし(どちらもバカにしたいわけではない、単にNeedsを満たしたという点で相似形であるというだけである)そのサイレンススズカが無償石で引けたのか有償石を天井まで回したのかなんてのは更に関係ない話である。

決済が簡単であったり、アプリのUXとして自分が当事者であるという体験が強く得られたというのであればそれは大いに学ぶべき事であるがそれはNFT自体によって与えられた物ではないしNFTで加えられた価値ではない点についても改めて強調する。内発的な動機というのはスピリチュアルかつセンシティブな話題であり、他者が与えて良いものではなく、ましてや山師が跋扈して誰もが価値を見定めるのが難しいNFTを曖昧なまま「おもしろがるオーナーシップ」などと銘打って人に勧める行為は社会的信用に関わる行為であるとすら思う。

NFTによってそれが簡単に、気軽に行えるようになったというのは、個人的な体験から言えば事実である。そしてそれは、つい人に伝えたくなっちゃうくらい魅力的なものだったのだ。

もし10年以上ぶりに連絡してきた旧友にファミレスに呼び出されこんな事を言われたらネットワークビジネスと疑って然るべきである。冷静に何のポジションも持っていないニュートラルな頭に戻した後で赤の他人のつもりでこの引用文を読み直して欲しい。そしてNFTは実際に他人に売り抜ける事が可能な商材でもあるのだからただの消費財の宣伝より悪質である。*2

アテンション・エコノミーの有毒性を伝えた文脈に乗せて「あなたの内発的な動機はこれで満たせるかも」と暗に仄めかしつつ特定のNFTを勧める行為は、まだ広く理解されていない存在であるNFTの周りで技術に明るい人間が行うべき行動とは到底思えない、というのが僕の率直な意見である。

まとめ

メタバースでNFTでWeb3.0だ」という風潮に対して僕は「メタバースにNFTは要らない。信仰以外で要るというならその利点を示すべきだ」という要旨で最初の記事を書いた。

その記事に対し「間違った主張があまりにも多い」と断じた上で「安易かつ有害な無料コピーによって毒されたアテンション・エコノミーに対して、NFTはコストを見える化して対抗できる利点がある」と主張したのが佐々木さんのリアクションである。「希少性を導入することで市場が形成され多数の利用者の利益になる」としてMtGの生態系にも触れた。

Webの未来の形に大いに興味のある僕は「その主張ではNFTからアテンション・エコノミーの解決に繋がる道筋が示されていない。エコシステムに働きかける話なのだからNFTから来る利益を自己満足以外で示すべきだ」と返信を書いた。「MtGの市場はゲームへの信仰の副産物であって希少性を導入したら何でも市場ひいては利益になるわけではない」とも指摘した。

すると再度の返信で佐々木さんは「自己満足だが?少なくとも自分のアテンション・エコノミーへの懸念は自分の買ったNFTで解決した。これが私の信仰だ」と開き直った。

なので僕はこの記事で「宗教乙」と返事を書いた。誤りがあれば佐々木さん以外でもブログやツイートの形で指摘して欲しい。

*1:新興宗教では「金銭への執着を無くす事も修行の一環である」として多額の寄付を請求してくる事は常套らしい

*2:売り抜け不可なコントラクトを書くこともできるがそれらの個別のNFTがどうなのかは調べていない