Software Transactional Memo

STM関係のことをメモっていこうと思います。

NFTとメタバースについて思うこと

TL;DR NFT投機界隈のデタラメに気をつけましょう

ブロックチェーンはデータに価値をもたらすのか

もたらさない。
NFT界隈がよく言う「希少性」自体には何の価値もない、部屋の隅に落ちている埃だって厳密には世界に全く同じ物は存在しないしデジタルデータのように完璧かつ無制限に複製することもできない、それでも価値はない。
ブロックチェーンのwalletを作成したら既にそのwalletは自分の唯一無二な所有物となるが作成時点でwallet自体の価値は空である。希少や有限であること自体を根拠に出資を迫ってきたらそれは詐欺である。

希少or有限な物にお金を払うモチベーションがあるとするならばそれは実需を除くとそういう信仰があるからに他ならない。伏見稲荷大社に21万円払えば5号の鳥居が奉納できるがやってる事はそれと変わらない。伏見稲荷大社に置ける鳥居の数は当然有限だが、有限であることだけを理由に奉納する人はいない。奉納はやりたければ誰でもやれば良いが「癌が治る」とか「高く売れる」とかのトークで人に奉納を迫っていたら詐欺である。

鑑定書付きのダイヤモンドだってα版ブラックロータスだって有限だが食べてお腹は膨らまないし通勤時間も短くならない。買う理由があるとすればコレクターとしてそれらを信仰しているか、より高く買ってくれそうな人に売るつもりかのどちらかだ。後者の場合も無限に価格が上がる事はないのでいずれコレクターが買うと当て込んでいるに過ぎない。

信仰というのは真剣に考える意味があり、鳥居はもちろんの事、3マナを生み出すブラックロータスや味方全員に毎ターンHP回復・NP増加バフを付与できるマーリン(FGO)に大量のお金を出すのは人がその世界観を信仰しているからである。MtGの対戦で机を物理的にひっくり返したら勝利だと考えてるような人にブラックロータスの実用的価値はわからないしゲームの世界観を受け入れていない人にはソシャゲのガチャなんて狂気にしか見えない。特にソシャゲなんて所有権をゲームの運営に認めて貰うだけの話に過ぎないのでサービス終了したら何もかも無くなる、というのはブロックチェーン勢のポジショントークとしてたまにあるが、ブロックチェーン上に所有権を置いたら永劫のものとなると信じているのならそれは単にあなたがゲーム運営者ではなくそのブロックチェーンを信仰しているだけに過ぎない、信者から異教徒は狂気に見えるものである。

ちなみにブロックチェーンに何かが置いてあっても第三者がそれをもってして所有と認めてくれるかは完全に相手次第で、サービス終了後でもアイテムやキャラクターを別のゲームに乗り入れ可能というのは完全に自分勝手な妄想であり自分がゲーム製作者なら無制限にゲームバランスや世界観を壊しかねない他所のゲームの要素の乗り入れは認めない。自社ゲーム間での乗り入れならブロックチェーンではなく自社のデータベースでやったら良いのだし、そういうゲーム会社を非難するなら単に同じ宗教(ブロックチェーン)を信仰してくれない相手に宗教戦争を仕掛けているに過ぎずどこにも正義はない。

どこで使うのNFT

NFTで所有権を示しても複製が物理的にいくらでも可能であることは誰もが口々に言うが、NFTで所有権を示した物以外の存在を一切許さない仮想空間というのはもちろん実現可能で、その世界で生きていくならNFTな家具や土地を買う事は筋が通る。だが、そんな空間で住む需要がどこにあるのかという観点がすっぽり抜け落ちているのが問題である。どの文書を読んでも「いずれ人々がそこに暮らすようになる」という希望的観測以上の物がない。3Dゴーグルは飛び道具として面白いし廃人的にVRchatに入り浸っている人も居るが腹は膨れないし通勤時間の短縮にもならない。一日中3Dゴーグルを付けてオンラインで仕事をして価値を社会に提供して給料を得る人はそのうち現れると思うが、その人がログインする仮想空間が【NFTで所有権を示した物以外の存在を一切許さない仮想空間】である必然性がまったくない。電子の世界はノーコストでコピーが可能なのが利点なのにそれをわざわざ殺して不便にした世界でないと出せない価値はない。あるというのならまずそれを発明したあとで風呂敷を広げるべきである、それがないと「自分に都合がいい妄想世界が待ち構えてる」と思い込んでいるに過ぎない。現実だって実需があるから家も土地も資産になっているだけで、資産性があるから住んでいるわけではないのだ。

「世界中の人が熱狂するオンラインゲーム」はそのうち産まれるかも知れない。それが「3Dゴーグルを使ったリアルな体験」を提供してくれていると仮定してもいい(どうせ話の本筋ではない)。あまりにその世界がよくできているので日常の経済活動の多くがそこで完結するなんて妄想も許すとしよう。そのゲームの運営者が望むと望まざるとにかかわらずRMT(Real Money Trade)は蔓延するだろうし、公式か非公式かで暗号通貨を用いたやり取りだって行われるだろう。それでもなお今やり取りされているNFTアートや、いずれ作られるかも知れないNFT衣食住が必須になるにはいくつもの論理の飛躍が必要になる。NFTで所有権が設定されたふかふかの天蓋付き仮想ベッドで寝たい?NFTで専有が保証された可愛い3Dモデルを着て仕事仲間と会議?どっちもたぶんもっと安くて便利な別の専用アプリがある。無料でコピー可能という圧倒的アドバンテージを握りつぶしてまで受け入れる不便な世界がそれに見合うほど有益であるというビジョンが誰にもまるで示されていない、得をしうるのは先行して買い占めた人だけであり後から来た大衆はそこから買わなくていい世界へ勝手になだれ込む。

NFTで所有権を示した時にその所有権自体が実需となるケースとして、入場券や会員証としての用途で譲渡可能かつ証明可能な手段として発行者自体に認めてもらうという用途が有用と思うがそれすらも何歩か道を外したらバブル期のゴルフ会員権問題と似たような結末になることは大いにありうる。むしろ会員権で味をしめた人が対象を変えて同じ戦略を再演することだってあるかも知れない、バブル期をバカにする割に人類は意外と進歩していないものである。

テクノロジーで作り出した非中央集権な未来が来るか

人類が果たして本当にそれを望んでいるのか考え直すべき。
BigTechが支配する世界vsブロックチェーンが作った民主的な世界という構図で煽っている人も結構いるが、そもそも非中央集権的であるという理由だけで大ヒットするのならばマストドンは今頃世界的な情報インフラになっててtwitterでは青い鳥ではなく閑古鳥が鳴いているはずである。
非中央集権なテクノロジー自体を信仰するのは完全に信仰の自由であるが、自分が信じているから世界中の人々がいずれ信じるはず、と無邪気に信じるならまず世界の宗教が未だに分断されている事に思いを馳せるべきである。

NFTの土地は買うべきか

やめろ。
ものすごく気に入ったメタバースがあってそこに鳥居でも奉納するつもりでやるなら止めはしない。
また、もっと高く買ってくれる奴に売り抜ける気でマネーゲームがしたいだけなら好きにすればいい(それがやりたいならNFTである必要はまったくないが)
メタバースの「仮想土地」、資産価値はリアルかフェイクかという記事があった。「ザ・サンドボックスの土地(LAND)は区画の上限数が166,464個と決められている。」と希少性を価値と錯覚させようとしている時点で噴飯モノではあるのだが、物事の考え方がそもそも逆である。

「買うべきメタバースの土地」という物が仮にあったとしてその条件を真剣に考えた場合、必ず以下の条件が上から順番に満たされる必要がある。
1. プラットフォームに価値がある
2. 土地自体に価値がある
3. 所有に価値がある
必ずこれらの順序が上から順番に満たされなくては行けないのに、いきなり3から議論を始めてくる輩が多すぎる。当面はそういうタイプは例外なく詐欺として切り捨てて行くべきである。順を追って説明する。

プラットフォームに価値があるメタバースと呼びうるような別の人生の空想に浸らせてくれる物は無数にある。大抵のネトゲやソシャゲだってそう。まずそのプラットフォームに何らかの目的をもって人が集まって定着しないと全く意味がない。セカンドライフの有限な土地を買い占めたところで人々がサードライフ(仮)に全員移動したら何のご利益もない。仮想世界は計算資源がある限りいくらでも無限に作られうるのだからそもそも土地は無限である。ここから下では仮に何らかの仮想世界が世界人口ほぼ全員を獲得できた仮定を置くとしよう。

土地自体に価値がある:人々はそもそもその仮想世界で生活する必要もなければ物を置く必要もない。そういう必要があると仮定する仮想世界だってもちろん作れうるがそれは制約であって価値ではないのでその制約自体を信仰していない限り人々はそれに従わない。眺望だけが欲しくて土地を買うならそもそも眺望のいいゲームを買えば世界まるごと独り占めできる。そうして実需以外で土地を使うなら商業活動という事になるが、そもそも土地という言葉遣いをしているから3次元的な物をみんな想像しているがデファクトを握る真のプラットフォームが3次元空間をしているとは限らない。例えばGoogle検索エンジンの上で人々はいろんなキーワードでwebの世界を飛び回っているがこれはキーワード空間であり3次元ではなく土地もないが人々は自然に受け入れている。駅前一等地に商店を開業すると儲かるのと同じことが検索キーワードとSEOの間で行われており、Googleはキーワードの駅前一等地に広告を置く権利を売る事で収益を得ている。人々が駅前の店に入ったり検索上位に出たサイトを利用したりするのはその世界の中での距離が近いからであるが、未来のメタバースの人々はもっとストレス無く職場と自宅とライブ会場(?)をワープするだろうし、距離の考え方が今の我々の想像と大きく違うだろう。その中において果たして「近い」とは何だろうか?終わらないのでここでは何らかの観点で人の視界に一杯入ることができる「土地」という物が定義できたとしよう。

所有に価値がある:ここまで来て初めてようやく土地を買う手段があるかないかの話ができる。仮に買ったとしてみんなの視界に入るからといって何でもしていいとは限らないし、大抵の人は万人に対して無限に売りたい物はない。所有したら他人に広告を出す権利を売るかも知れないしそういう利回りの出る土地自体を売ることだってありだ。そういう価値を通して初めて「土地を買う」という行為が投機ではない経済活動として行える事になる。買う手段があること自体を購入の理由にしてはいけない。

さてこの観点においてこれまでに行われた仮想世界の土地の売買を見た時、投機でないものが果たしてどれだけあっただろうか。土地の実需とは果たして何なのかという観点で仮想世界を考えるのは少し新しい切り口を提示してくれるかも知れない。

 

togetter.comざっといくつか見た感じ一部の人を除いて人々は正しくNFTのデタラメを見抜いているので心配はしていないけれど、自分の言葉でNFTのデタラメを解説してくれる人が増えれば被害者も減ると思うし議論は活性化すると思うので歓迎している。