Software Transactional Memo

STM関係のことをメモっていこうと思います。

キャリアハックの奇行

エンジニアの奇行

嚢中の錐という言葉がある。有能な人物は自ずと傑出していくという意味だが、有能さとは例えば学歴の高さとは一致しない。

たとえMIT卒であろうとも大成するとは限らないし、ましてや入試の点数などで見れる人間の側面は限定的である。

企業などで採用する側からしてみたら当然ながら採用後の活躍を期待して雇用するのであり、入社をゴールとしてそれ以降働かなくなる人は望ましくないし、学歴や入試の点数によってそういう人かどうか判定する事はできない。

活躍という観点で言うと長いキャリアにおいてより重要となるのはキャリア開始時での能力の高さよりも、険しく長い道のりを自己メンテナンスしながら歩み続けられる根気の強さが重要とされている。その根気の源泉は執着だったり崇拝だったり妄信だったりトラウマだったり原体験だったり人によって様々だが、ここではひっくるめて「やる気」と簡略化して呼ぶことにする。

さて「やる気」のある人を採れば継続的な活躍が期待できるが残念ながら「やる気」を正確に測る方法は人類史上いまだ発見されていない。面接の場において「やる気なら誰にも負けません!」などと口先だけでいうなら簡単だし、それを口走った瞬間が少なくとも瞬発的なやる気に満ちていることに嘘はないしそれは継続的な「やる気」を保証しないからだ。

そこで今は「やる気」の証拠となりうる客観的な指標をいくつも取り入れて推定する手法が一般的である。例えばコンピュータの業界だと以下のようなものが人気だ

なるほどコンピュータへの興味とモチベーションがみるみる湧いてくる人間からしたら垂涎の趣味であり、逆に言うとそうでもなければ金と時間をドブに捨てているに等しいリストでもある。

一般論として、履歴書にこういった項目をずらずらと並べてくる学生は働き振りも期待できる事が多いので書類選考において有利に働くことは間違いない。とは言え近年は出された課題をこなせば判で押したようなポートフォリオが完成するプログラミングスクールとか、本に書いてある通りに従えばおよそ動く自作OSとか、カリキュラムの中でネットワークスタック自作を迫られるキャンプなんてものもあり、履歴書にこういった派手な項目が並ぶことは珍しくなく、更には面接の場ではその表層の知識をなぞっだけで就活のために嫌々こなしたに過ぎないことが露わになる事例も珍しくない。

面接する時点において絶対的な実績や能力をもちあわせていない事は仕方ないし、情熱を持って働くうちに自ずと付いてくるものであるからこの点は悲観視する必要はないが、口頭で「ある」と豪語した「やる気」が実は就活用に作った嘘でしたとバレた時の減点は計り知れない上、面接官はそこの嘘は目ざとく見ている。

また仮に面接の場では上手く隠し通せたとして自分の「やる気」が向いていない仕事を何年も続けるのは結局は本人も不幸になる。

「やる気」とは才能である

インターネットの力で情報があふれるこの時代、大抵の事は学びの高速道路が整備されており、ある程度のレベルまでは学習と訓練の果てに至る事ができる。入試レベルの数学の問題だって繰り返し解けばおよそ誰でも解くことができるようになるが、それを誰もが楽しいと感じるように訓練することはできない。人間の持ちうるスキルには鍛錬で身につく物とそうでない物があり「好き」とか「楽しい」といったものは後者である。人間が何かを成そうとした時、継続的にその動機をメンテナンスし続ける内的な機関が必要で、それを鍛錬で身につける事はできない。

そして人間は基本的にお金を稼ぐために合理的な活動をするので、逆にお金や時間を非合理的に消費している対象を確認することで「やる気」を推定できるという基本方針が世の中にはある。アメリカの大学入試でボランティア活動の参加ぶりを加味したり、入社面接のために上のリストのような過去の活動を見たりするのは、本人の根源的な「やる気」がどれだけの強さでどこに向かっているかを推定するためのシグナルとして利用している例である。

逆に言うと良いところに入学・就職してお金を稼ぐという合理的な目標のための投資として捉える事も可能であり、その観点から「お金を払えば誰でも参加して経歴に追記できるボランティア活動のパッケージ」みたいなビジネスすら成立してしまう。それによって「やる気」という才能があるかのように偽装できるのであれば安い投資である。

ちょっと前にこんなツイートが話題になった

確かに根っからのゲーム好きでゲーム業界を志して気になったゲームを片っ端から入手してプレイしていたら自ずとゲーム機は増えるので、ゲームに人生を賭ける「やる気」のシグナルとしてゲーム機の所有数を見るのはそこまで見当外れではない。でも例えばそんなにゲームが好きじゃないけどゲーム業界で働きたい程度の「やる気」しかない人がこういうツイートを見て就活に便利だからという理由でゲーム機を買い揃えましたと面接で言ってもプラスにはならない。

非合理な行動を評価するのは内的な動機から湧き出た行動の結果だから意味があるのであって、外的な動機で投資の一環として行われた活動に対しては投資をしてるんですね以上の評価はできない。

ここのレイヤーの取り違えは世の中ではそこら中にあって、猛烈にハードワークして大成した人が「若者はみんな100時間は残業しろ」などと言ったとして、その人はそもそも強烈な「やる気」に基づいて働いた過程として100時間の残業があるに過ぎず、お金が欲しいという希望しかない人が100時間という数字自体を目標にダラダラと残業しても同じ結果は付いてこないどころか体を壊す。

逆に言うと、現時点で大した能力が無くてもプログラミングを楽しいと自信を持って言えるのなら立派な才能である。その楽しさを原動力にしてさらなる楽しさを追求して欲しい。

投資とハック

投資活動としてシグナルをでっち上げる事は、入試対策として勉強をするのと同程度に一般的になりつつあるが、入社試験のように「特定の条件を満たした人を通過させる」儀式はそこに特化(ハック)した人間を生み出す。AtCoderでプログラミング能力の瞬発力は測れるが、コンピュータに対する「やる気」の証明としてAtCoderの段位を使う事はできない(僕はCSへのやる気のない人間が暖色コーダーには成れないだろうと思っていたが、元々のスペックが高いので入試勉強と同様に嫌々ながら黙々とやって達成できてしまう人も世の中には居るらしい)。

コンピュータ・サイエンスが稼げる業界であるという認知が広がった結果、とにかく基本スペックが高いのでやりたい事が無いけどとりあえず志す人なんかも流入してきており、頭が良い人が業界にいる事自体はもちろんそこまで悪くはないのだが、大抵の企業の入社試験を見るに基本スペックの高さだけで人を選ぼうとはしていないのは、各社ごとに「やる気」のある人が欲しいということの表れなのだろう。

より多額を投資された人が勝つのが資本主義の常道である富の再生産であるが、この世界では投資額すらも「やる気」の推定材料の一つに過ぎず、とにかく好きを貫いて非合理な行動を重ねまくった人に脚光が当たったりする、なんとも夢のある話ではないか。