Software Transactional Memo

STM関係のことをメモっていこうと思います。

大企業の幹部がやっている事について

この記事を読むたびに学びがあるなぁと感じていたが読むたびに忘れている気がするので現時点での理解を書き留めることで今後の学びの糧にしたい。本記事は元記事の全体を和訳する事や内容の全てを解説する事を目的としておらず、僕自身の学んだ事や振り返った事や噛み砕いた解釈を大いに含むので、本記事に書かれている内容は元記事の主張と一致している保証は全くない事を念頭においてほしい。

apenwarr.ca

To paraphrase the book, the job of an executive is: to define and enforce culture and values for their whole organization, and to ratify good decisions.

この本を言い換えると、幹部の仕事とは文化と価値を定義して強制し、良い決定を承認する事です。

元記事で言いたい事の結論は全てここに集約されている。よってこの文章だけで何が言いたかったか全てわかる人であればこの記事をこれ以上読む必要はない。

一見そんなに突飛な事は言っていないのだが、それだけの事についてこう評している。

I can't believe nobody told me this before. It's all so simple, and it's all been documented since the 1980s.

誰もこれをこれまでに教えてくれなかった事を信じられません。これはとても簡単な事で1980年代から既に文書化されていました。

なぜそれほどまでにこれが価値ある金言なのか、というのは実際に大企業で働いてみないとわからないかも知れない。奇しくも僕は大学院を卒業してNTT研究所に就職してその後Googleに転職したので、結果として大企業ばかりに勤めておりこのブログに書かれている事が何故か身近な出来事のように感じられた。

よくエグゼクティブの仕事として「意思決定」が典型的な仕事として表現される事があるが、幹部が意思決定をする事はほとんどない。何故なら幹部会議に上がってくる時点で議題のほとんどを承認する事が確定しているし、もっと言うと承認が通らないようなものが頻繁に稟議に上がってくるならそれ以前の問題がある。

なぜ承認する事が決まっている稟議しか起案されないのか、それは幹部が企業の価値観を決定して再帰的に企業全体に押し付けるからである。企業で働いていれば末端の会議の場においてすらその場にいない人間を引き合いに出して「○○部長ならこう言うんじゃないか」などと意見を主張する事はよくある。そこのエミュレーションの精度が高ければ高いほど例えばその部長の承認を得る確度が上がるし、同様の事が部長より上のレイヤーでも繰り返されて最終的に幹部にまで決裁が昇っていく。その部長はさらに上の人の言う事や考える事をエミュレーションする事で決裁が通る精度を高めている。要するに幹部というのは様々な人間のエミュレーションを経て社内で行われる全ての意思決定の場に(仮想的に)出席するのである。若い頃の僕はそういう現象をファントムと呼んでいた。

Every executive is responsible for enforcing the policy all the way down the chain, recursively.

全ての幹部はポリシーをチェーンの末端まで再帰的に適用することに責任を負っています。

幹部は自分の言動が直接的にも間接的にも社内の全体で繰り返し再生され、それが文化を形成し全体の価値観を決定する事を意識しなくてはならない。当然ながら一言何かを言ったぐらいで社員全員がそれを理解できるはずもないので繰り返し、必要なら何度も言葉を選び直してブレる事なく伝え続ける必要がある。そうやって幹部の声をハウリングさせ続けて価値観を強制した塊が大企業であり、結果として独自文化がそこに生まれる。上に登るほど幹部の価値観をエミュレーションする精度が高い人間がグラデーション的に増えていく。「人間が2人以上いるならばそこには政治が生まれる」という言葉があるが良い幹部は仕事の文脈において部下に価値観の衝突からなる政治を起こさせない(=どちらにも幹部の価値観を等しく強制する)事が仕事である。

If the executive makes their own decisions and forces them downstream: the executive doesn't have enough information to make good decisions in detail, so the decision won't be optimal.

もし幹部が意思決定をして下に強制するならば、幹部は良い決定のための充分な情報を持っていないため決定は最適でないものになります。

なんと幹部は意思決定をしてはならないとまで言っている。幹部の一存が対立した議論のタイブレーカーとして機能する事が常態化すると、幹部の顔色を窺う事が部下の最適戦略となってしまう。そもそも幹部よりも現場に近い部下の方がより詳細な情報を持っているのが普通なので、対立した会議の場において論じるべきは「どちらがより幹部の定義した価値観に沿っているか」であるべきで、それに沿っていない決定は幹部本人すら下してはいけない。もしそれをすると幹部は詳細な情報を持たない人間である故に間違える可能性があるし、決定がこれまでに提示した価値観に沿っていなかったら部下達は幹部の提示する価値観がわからなくなり今後の価値観エミュレーションの精度にも悪影響が出る。

One of the book's claims, which I found shocking at first, was that in a large organization, executives don't set strategy. Not even the CEO sets strategy. Why? Because it's an illusion to believe you can enforce a strategy.

この本に書かれていた初めは衝撃的だった事として、大規模な組織では幹部は戦略を立てません。CEOですら戦略を設定しません。何故か?戦略を強制できると信じるのは幻想だからです。

面白いのが、幹部自身は意思決定どころか戦略を立てることすらしない。何故なら戦略を立てる為に必要な情報はどうあがいても幹部ではなく現場に近いところに集まるからである。これはNTTにいた時も「具体的な戦略は脂の乗った中堅社員達が試行錯誤して立案していて、対外的には幹部を操り人形のようにして喋らせているだけ」などと言われていた。では幹部は何もしていないのかというとそうではない(若い頃の僕は「それだと何もしていないのでは?」と勘違いしていたが)幹部はその試行錯誤する中堅社員達にどういう価値観の戦略であれば承認するかをあらゆるチャンネルを使って繰り返し伝え続けていくという大仕事があるのだ。これが最初の結論にある「文化と価値を定義して強制する」という行動の実態である。別に全ての幹部がこの事を完璧にできているとは思わないが、結果として大企業の幹部の取るべき行動の最適解がこの辺りに収斂するというのがこの元の記事の趣旨である。

さて、それでもなお価値観に沿っているかを判定し、承認する事がほぼ確定している会議に出てわざわざ承認という儀式をするのか。それは会議という行為で価値観に沿っているかを論じる事で、稟議を上げてきた部下に当事者として責任を負わせるためでもある。上意下達なだけの組織では部下本人も仕事に身が入らない、幹部に必要なのは部下のマイクロマネジメントではなく、自分の価値観をより正確に強制して部下が目の前の問題に対して自分の頭で考えて実行できるように状況を整備する事である。それが「良い決定を承認する」という行動の実態である。

なおこの話は現場の方が問題の詳細に詳しいという大企業に限られた話であるし、定義される価値観というのは自明なものであってはならない(例えば「法を犯さない」などと社是に書く必要がある会社であれば社員の人選の段階で既に間違っている)。価値観に従わない人間の事はクビにしないといけないし、私企業なら解雇はできるが国家は国民を解雇できないので国の運営の仕方は大きく勝手が違うとも書いてある。

この元記事の著者はGoogleでも幹部として働いていた経歴のある人間なので、NTTでもGoogleでもおよそ似たような力学が働いて操縦法も共通点があるというのは個人的には大きな驚きであった。外資企業にいて驚いたのは例えば「顧客ファースト」と幹部が言っているのならそれは本当に「顧客ファースト」を意味していて、起案が「顧客ファースト」に沿っている限り社内のあらゆる意思決定において(「もっと顧客ファースト」な対案以外に対して)アドバンテージが取れるのである。

会社の価値観、一例として社是は飾りではなく無限に反響し続ける幹部の価値観の一部であり、それを社内に反響させ続けるのが幹部の仕事なのだ。

僕の記事を読んで面白いと思った人はぜひリンク先の元記事も読んで欲しい。僕のこの記事は僕の解釈と経験に基づいて好き勝手な事を書いているに過ぎないので元の記事の人とはまるで意見が違うかも知れないし僕の誤読も大いにあると思う。各位こっそりと見解を共有してくれたら嬉しい。

アイキャッチ画像はbingに作ってもらった。

花の水やりにも喩えられる