Software Transactional Memo

STM関係のことをメモっていこうと思います。

大企業のデスマーチは何故止められないのか

以下ポエム。

TL;DR; 悪者が居ない組織でも無能で勤勉な会議体は未知の力学で動き続けるのだ。

 

一般に、大企業に就職するのは簡単ではない。
知名度がある分、エントリーしてくる人間の数も多く自然と競争が熾烈になる。
その熾烈な競争を勝ち残った分、そりゃ優秀な人間が多いというのは採用を担当した人事の弁である。
実際に仕事で役立つ力と、採用の現場で重視されるコミュ力では尺度に乖離があったりで必ずしも現実はうまく回らない。

世の中のIT系の巨大プロジェクトは往々にしてデスマーチに見舞われる。
デスマーチに巻き込まれた末端の人間は目の前の個別の問題に対して「おいこりゃやべーよなんとかしないと」とか思いつつも末端故に全体を止めるような力を持ち合わせてない。
であれば、デスマーチの頂点付近にいる重役ぐらいにしかそれを止める強権を発動し得ないのではないかというのは妥当な考えである。だが世の中はうまく行かない。

 

インターネット上にはゼークトの組織論という有名な話がある。
wikipediaから引用するとこうなる。

将校には四つのタイプがある。利口、愚鈍、勤勉、怠慢である。多くの将校はそのうち二つを併せ持つ。

一つは利口で勤勉なタイプで、これは参謀将校にするべきだ。
次は愚鈍で怠慢なタイプで、これは軍人の9割にあてはまり、ルーチンワークに向いている。
利口で怠慢なタイプは高級指揮官に向いている。なぜなら確信と決断の際の図太さを持ち合わせているからだ。
もっとも避けるべきは愚かで勤勉なタイプで、このような者にはいかなる責任ある立場も与えてはならない。


これは将校についての話であるが、大企業の組織の中、更には会議体などの集合にもこれは言える。
大企業の採用をくぐり抜けてデスマーチの会議に毎回出席している人物はほぼ例外なく勤勉であり、その会議を行う組織そのものも「勤勉」と言える。であるが、デスマーチに陥っている時点で「愚か」である。つまりまさに「愚かで勤勉な」知性体の活動こそがデスマーチである。

三人寄れば文殊の知恵などというが、会議というのは三人以上集めても知恵のレベルは合計はおろか平均値ぐらいにしかならない。有名な画像を拾ってきたので貼っておく、この画像の出典は小林源文先生の第2次朝鮮戦争ユギオⅡの冒頭部分、らしい。

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軍隊の将校で言うなら「あの将校を追い出すか銃殺せよ」で究極的には話が済む。
しかし大企業のデスマーチの中では「個人レベルでは利口かも知れないがそれを合計した会議体としては愚か」という抽象的な組織がうごめいており「誰を追い出すか銃殺すればいいんだ」という答えが出てこない。そこで大真面目に犯人探しをしても全員それなりの道理があって行動しているので個別事象で見れば正しく動いているようにすら見える。

なので、仮にデスマーチプロジェクトに対して内容を精査して情報をまとめて決定権を持つ専務とかに「こういう状況だからこのプロジェクトは中止すべきです」と奏上し、納得してもらえたとしてもその専務もその会議体の一員である以上は共犯のような関係になっており容易に止める事はできない。

誰が悪いとかどこが悪いとか明示的に指し示して切り離せるものではなく、強いて言うなら悪いものは会議室の空気というか組織全体の漠然とした流れのような物である。だから専務であっても容易に「○○課長を左遷すればうまく行く」などと切り出せたりはしない。

これは究極的には「企業内力学」とでも呼ぶべき未だ科学では解明されていない未知の力の結果である。原子の振る舞いを追う量子力学と、原子が集まった集合での振る舞いを追う量子統計力学が別の領域であるのと同様にして、人類は「大企業の組織が誤った判断をした際に止まらないのは何故か」という命題に対する統計力学は未だ大企業の振る舞いをモデル化しきれる方程式を見つけていない。

 

ちなみにこの文章は僕が今会社でデスマーチに追われた勢いで書いたものではなく、いろんな会社から漏れ聞こえてくる話と自分が普段から感じ取っている大企業の雰囲気から統合して組み立てた話であって会社では気ままな極小プロジェクトを回しているためデスマーチとは程遠い立場にいる。