Software Transactional Memo

STM関係のことをメモっていこうと思います。

最近の若者は果たして軟弱か

エジプトの壁画にさえ「最近の若者は云々」と小言が書かれているという話は有名で

多くの場合それは年長者による若さへの妬みの表れであって、実質気のせいという解釈はある。

大まかに見ると平均的な知能は昔から変わらず上がっているという調査報告もあるけど、身体的には確実に軟弱になっている。

 

石器時代であれば例えば視力を失ったらそれはほとんど死を意味しただろうけれど、現代では視力を理由に死ぬ事はそう多く無い。

出産に適していない体格が理由で死ぬような個体の遺伝子は子孫を残せずに勝手に淘汰されていただろうけれど、ここ数百年の医療技術の発達で高い生存率で帝王切開による多産も可能になり淘汰がされなくなった。帝王切開なしでは存続できない遺伝子というのはこれから相対的に増えていくと思う。

さらに最近は新型鬱など昔であれば精神論で片付けられて人知れず自殺していたかも知れない個体も個別に認識や対策が為されるようになり、カウンセラーに通いながらなんだかんだで生きていけるようになってきた。人間の研究の進歩は、人間の症状や個性をより細かい解像度で捉えるようになり、それによって全体として更に新しい多様性を持った種となるよう働いているのは人類の本能なのかたまたまなのか実に面白い事だと思う。

 

淘汰がされなくなったということはそれだけ多様性を許す生物になったということであり、平均を取ってみれば確実に軟弱になっている。

でも、軟弱になっている事は必ずしも悪い事ではなくて、これから先もどんどん多様に(≒軟弱に)なっていって、それを科学で助け、それを許す社会を作っていくのが人類全体としての向かう方向だと思うし、そうやって生物としての多様性を生み出すために人権を制定したのだと考えると実に業が深い。

 

僕はまだそんなに年老いているわけではないけれど、きっと40年もしたらひょっとしたら若さへの妬みも込めて、更には定点観測による統計的な数値を見ながら「最近の若者は軟弱になっている」と感じるだろうと確信している。

 

でもそんなことは言いたくないし、その頃までには

「最近の若者はなんて軟弱(≒多様)なんだ素晴らしい!」

と、まるでオリンピックでも見ているかのような気分で若者を応援する社会になっていて欲しいと思うしそうなるよう応援したい。